「被害者を生きる」ことを卒業すれば道は開ける
2015/03/09
LibertyWings®の理論も今も発展し続けています。だから必然的に、テキストも更新し続けています。今回は、誰でもおちいりやすいとともに、ここを変えると人生は大きく好転するというテーマについてより詳しい情報をお届けします。
自分を被害者と見なす信念
ここ最近追加したのは、逆に余りに基本的すぎて盲点になっていた、「責任を生きる」か「被害者を生きる」かというマインドセットのワークでした。そして、実は多くの人が次のような思考パターンを潜在意識に持っていることも分かりました。
「私は父親の被害者だ」「私は母親の被害者だ」
「私は兄弟の被害者だ」「私は家族の犠牲者だ」
「私は常に誰かの被害者だ」「私は状況の被害者だ」
またこのようなテーマでのワークの最中に、「なぜかいつも自分が悪者にされる」、「繰り返し被害者、犠牲者になる」あるいは「被害者、犠牲者を演じる」というパターンをくり返す人というのが珍しくないことに気がつきました。
「自分は害をなす」「加害者だ」という信念
「私は常に悪者にされる」という思考パターンは、これまでに幾度となく遭遇しキャンセルしてきました。しかし、「悪者扱い」を真に受けてしまい「私は悪者で加害者だ」と思い込んでしまった、ないしは、そういう思考パターンをつくることで「加害恐怖」(自分が誰かに害を与えてはいないか? 害を与えるのではないかと恐れること)を作り出し、それによって人の顔色をうかがい安全を確保しようとするパターンもあることが分かりました。
自分を加害者だと思い込む信念は、欠陥/恥スキーマに分類し、欠陥/恥スキーマの中の新しい系統として「加害系」を追加しました。(存在系、欠陥系、羞恥系、無能系に続く5つめ)
また「悪者に仕立て上げられる」「悪者扱いされる」などの思考パターンは、不信/虐待スキーマに分類しますが、従来の攻撃系、拒絶系、無視系、否定形、侮辱系のいずれともニュアンスが異なるということで、「烙印系」という新しい系統を追加しました。
欠陥/恥スキーマ加害系を持っている場合、服従すると悪役を演じる、または、「どうせなんでも私が悪いんだ」というような卑屈な振る舞いをする、回避なら人に何か害を与えたり、悪者扱いされたりしたくないので人と深く関わらないことになります。
しかし、過剰補償は特徴的で、被害者になる(実際に被害者の立場になる場合と自分を被害者に仕立て上げる場合があります)、あるいは犠牲者になる(これも実際に自己犠牲的になる場合と、自分を犠牲者に仕立て上げる場合があります)ということです。これも潜在意識に保持された「思い込み」が原因ですから、つきとめて変更を望めば終わらせることができます。
人間はなぜ「被害者」になりたがるのか?
そもそも人間は、被害者意識を持ち、自分をかわいそうな犠牲者と見なしたがったり、そのように主張したがったりすることがあります。そうすることにそんなにメリットや魅力があるのでしょうか?
この考察をしているときにもう20年近くも前に読んだ本、「聖なる予言」(ジェームズ・レッドフィールド)の主題である「コントロールドラマ」を思い出しました。人間は、ネガティブな場面で4種類のコントロールドラマのどれかを選択して人からエネルギーを奪おうとする。それをやめることで本来の道が見えてくるというような内容でした。その4つのコントロールドラマとは、
「脅迫者」は相手を言葉や暴力で脅すことでコントロールします。
「被害者(犠牲者)」は、同情をひくことによって譲歩と注目を勝ち取ろうとします。
「尋問者」は他人の誤りを見つけ出すという特定の目的をもって批判的になります。
「傍観者」はよそよそしく、無関心を装うことで相手の注意を引き出そうとします。
この中で「被害者(犠牲者)」のコントロールドラマというのがまさに「被害者を生きる」パターンでもあります。自分を被害者、犠牲者に仕立て上げることで相手の同情や関心を引き出し、罪悪感を受け付けたり、遠回しに「あなたはもっと私に何かをしてくれるべきだ」というメッセージを送り込んだりします。
また、「脅迫者」に対して「被害者」で対抗する、「尋問者」に対して「傍観者」で対抗するという傾向が起こりやすいと指摘されています。
これを親子関係で見ると、親が「脅迫者」で子供が「被害者」、親が「尋問者」で子供が「傍観者」というケースが多いだろうと予測できます。ただまれに未熟な親が、「被害者」のドラマを使って子供をコントロールする場合もあります。先ほど紹介した欠陥/恥スキーマ加害系というのはこうした背景から生じるのです。
これまで多くの思考パターンは、「生存」「安全」「受容」「愛されること」「承認されること」「成長すること」のいずれかの役に立つと判定されて保持されているというモデルで扱ってきました。参考にしたのは、マズロー・モデルです。もちろん例外はあります。例えば「家族の調和のため」というのも珍しくありませんでした。
ちなみに「セドナ・メソッド」では、これら以外に「制御欲求」(状況をコントロールしたいという欲求)も人間の基本的欲求の一つとして扱っています。もちろんそういうメリットもあると思いますが、これまではレギュラーとしては扱ってきませんでした。ただ、「被害者を生きる」というマインドセットのワークにおいては特に着目して行く必要があるでしょう。
「被害者を生きる」ことのメリットとして考えられるのは、自分の人生の責任から免れ(実際には免れることはできない)、攻撃や叱責をかわし、相手に罪悪感を植え付けたり、同情を引き出したりすることで相手をコントロールすることといえるでしょう。その方が楽で益があるように思えるのです。
「被害者」を卒業すれば道は開ける
実際の統計的事実は、「被害者を生きる」ことこそが、最も人生を辛く惨めなものにすることを示しています。「被害者を生きる」ことのメリットは、全て錯覚なのです。
では実際に「被害者であった」「被害を受けた」という事実についてはどう考えればよいのでしょうか?
例えば、学生時代に学校でいじめにあったという事実があったとします。この事実は変えられません。そこで、例えば、いじめにあったけれども登校拒否もせずに、学校に通い続け卒業しているという事実があれば、「試練に耐えた」「試練を乗り越えた」と考えられます。登校拒否になったことがあったとしても、自殺はしておらず何らかの形で人生を修復しようとはしてきたはずなので、「試練に向き合ってきた」ということはいえます。
「被害者を生きる」ことをやめ、「責任を生きる」ことに切り替えれば、人生はどんどん好転します。頭では分かっても、なかなか難しいという場合にはちゃんと理由があります。潜在意識がそれに何らかの理由があって固執しているのです。それを解き明かせば変えることができます。そのようなチェンジをLibertyWings®プログラムは、強力にサポートします。
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多くの人が潜在意識に、豊かになったり、成功したりすることを妨げる「隠れた信念」を持っていることが分かっています。
私は、潜在意識に存在する「隠された信念」をインナーチャイルド、インナーベビーという概念で表して、誰でもそれを簡単に自己分析できるようにしました。そして、自分でそれに向き合って変更する方法を含めて1冊の本にまとめました。LibertyWings®プログラムの最も根幹をなす考え方はこの本にまとまっています。
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