「仮の美徳」と「真の美徳」を巡って
2014/11/04
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潜在意識の基本原理
これまでに、私のブログや拙著をお読みくださった皆様は、人間の潜在意識について下記のような最も重要な基本原理をご理解いただけているかと思います。
①・人間の潜在意識の基盤には、早期不適応的スキーマという信念体系がある。
②・それは、幼少期に体験を短絡的かつネガティブに解釈した結果生じる。
③・その代表的なものに例えば、欠陥/恥スキーマや不信/虐待スキーマ、見捨てられ/不安定スキーマといったものがある。
④・スキーマからは、服従、回避、過剰補償と言う大別して3パターンの思考、行動パターンが派生する。
⑤・その多くは、大人になっても保持され、無意識のうちに考え方の基盤になっている。
⑥・それらが保持されるのは、ある一定期間何らかのメリットが認められ、今でもメリットがあると無意識が信じているためである。
⑦・そのメリットを別な方法で満たす事を潜在意識が選択したしたときに解消できる。
⑧・メリットの多くは、生存、安全、受け容れられる事、愛される事、承認される事、成長する事のいずれかに深く関係する。
そして、そのよくある具体的なパターンをあげると例えば次のようなものがあります。
欠陥/恥スキーマのコアに、「私は無価値」という信念があり、その過剰補償として、役に立つ価値のある人間にならなければというプレッシャーを自分にかけ続けた結果、成長の役に立った。
不信/虐待スキーマのコアに、「私は怒られる」という信念があり、その回避として。いつも怒られないように、相手の顔色をうかがい、怒られそうな事はしないようにする事で安全の役に立った。
見捨てられ/不安定スキーマのコアに、「私は捨てられる」という信念があり、捨てられないために、相手の期待に応え必要とされようとする事で結果的に成長の役に立った。
欠陥/恥スキーマでの具体事例
もう少し肉付けして欠陥/恥スキーマを例にとってみてゆきます。今度はコアに「私は厄介者」という信念があるとします。
これに服従すると、「どうせ私は厄介者」といじけたり卑屈になったりする事も考えられますが、遠慮や我慢をしておとなしくするという事も考えられます。その結果、厄介者扱いされなくて済んだ(安全の確保)、いい子だと思われるようになった(受け容れられる、愛される、承認される)、自分の事よりも周囲に気を使うようになり、気配りが出来るようになった(成長)などのメリットを産み出す場合があります。その結果、親や周囲の人間との関係が良好、ないしはよりましな状態が保たれたという事になると、そのスキーマは、環境に適応するために役に立つものと判定される訳です。
これに回避すると、「厄介者」と思われる事を避け行動が消極的になるでしょう。その結果、怒られなくて済んだ(安全)というメリットにつながる事が考えられます。回避の場合、多くのケースでメリットは「安全」でしょう。
これに過剰補償すると、「厄介者」の逆に「役に立つ人」であろうとすることになるでしょう。周囲の期待を感じ取り、それに応えようと努力した結果、何らかの能力を獲得した(成長)かも知れません。
全体的に欠陥/恥スキーマを持つ人は、自己評価が低く、遠慮や我慢をしがちで控えめ、努力家で自分に厳しく、それでいてあまり受け取ろうとしない、無欲であるように見えます。
すると、「美徳」という観点からいうと、謙虚、誠実、節制、勤勉という特質を持っているようにも見えます。
確かに、このスキーマは、よく言えば自分を厳しく省みる癖や傲慢を戒める方向で働きます。その結果、実際に自分を客観視し、自分の改めるべき点を見出し他者の意見に耳を傾けるという習慣が作られた結果、そのような経験値の蓄積が出来る面はあるでしょう。
その「美徳」は本物ですか?
私は、このような事をセッションでよく言います。このスキーマは、あなたの人生にさまざまなデメリットや制限を与えてきたと思いますが、このスキーマがある事で学べたこともたくさんあるのです。だから過去の事はよしとして、これから先の人生でもうこのスキーマを卒業すると考えればいいのですよと。
そういう訳で、一件ネガティブに見える早期不適応的スキーマですが、美徳を身につけるプロセスとして役立っている面もあるわけです。ただし、欠陥/恥スキーマでいえば、そのスキーマがあるから、謙虚、誠実、節制、勤勉という特質を持っているように見えるというのは、本物の美徳とはいえないでしょう。例えば、欠陥/恥スキーマがあるから謙虚に見える人は、実は本当の謙虚ではなくて謙遜、ないしは自己卑下なのです。自信がなくて心に余裕がないのです。だからちょっと批判や指摘でもされると、重大な宣告でも受けたかのように落ちこむことがあります。それで、内心では批判や指摘をした人に悪感情を抱いたり、関わりを避けようとしたりもします。このように観察するとこれは、本物の謙虚さとは違う事が分かります。
かつての私自身を含めて欠陥/恥スキーマを長らく持って生きてきた人の潜在意識をテストすると興味深い傾向が見られます。それは、・・・
「自信を持つこと=傲慢」、「自信を持つことと謙虚さは対立概念」というような誤解が多く見られるという事です。
拙著の中でも書きましたが、自信を持つことと謙虚さは対立概念ではなく共存できます。むしろ、本物の自信を持っている人ほど、心に余裕があり、人の話に耳を傾ける事も出来るのです。これは教授と学生の関係で喩えると分かりやすいと思います。
ある教授は、学生の意見に真摯に耳を傾け、丁寧な対応をしました。別な教授は、「君の意見は浅はかだ、第一、君ごときが私に意見を言うなど生意気だ」と一蹴しました。前者は典型的な謙虚、後者は典型的な傲慢です。さて、では本物の自信を持っているのは、どちらでしょうか?
ここでいいたいのは、スキーマがある事によって学べる事がありますが、スキーマがある事によって結果的に美徳を身につけているように見える状態というのは、本物の美徳ではないという事です。そのような概念を言い表す言葉が存在しないので「仮の美徳」とでもいいましょうか?
けれどもそれは、本物の美徳を身につける入り口にはなり得るのです。つまり、スキーマを卒業する事で「仮の美徳」から本物の美徳に移行するという事です。
「仮の美徳」は辛い、真の美徳は喜び
たしか「『いい人』はなぜ病気になりやすいのか」というタイトルの本がありました。また、誰かが書いた文章で「『いい人』を卒業する」という表現を読んだ事があります。ここでいう「いい人」というのは、お分かりだと思いますが、本当の美徳を身につけた人という意味ではなくて、「仮の美徳」で生きている人という意味でしょう。端的に言って嫌われるのが恐い、批判されるのが恐い、だからいい人を演じているというような人です。それを偽善というのは手厳しすぎるでしょう。本人は辛い思いをしながら生きているのに違いないのですから。それは、その人の成長史の一局面というように発展的な捉え方をするのが適切だと思います。
そういう訳で、自分自身のスキーマについて考える時、あるいは、誰かのサポートをするときに、「このスキーマを通じて身につけようとしていた美徳があるとしたらそれは何だろう」あるいは、「この『仮の美徳』に代わる真の美徳は何だろうと考える事は役に立つでしょう。
ちなみに、「ありがとう」という言葉は、水に美しい結晶をつくらせるほど美しい言葉です。けれども、それを言うべきだから、社交辞令だから、それが常識だからというのは本当の感謝ではありません。感謝を英語では、gratitudeといいますが、語源はラテン語のgratiaです。Graceも同じ語源です。Gratiaには「喜び」という意味があります。つまり本当の感謝には、相手がしてくれた事に対する喜びを表すという意味があるのです。
私見ですが、「仮の美徳」の多くは苦痛を伴うのに対して、真の美徳は、喜び、または満足感を伴うものだと思います。ただ、辞書的には、美徳とは「美しい徳行。道徳の基準にあった性質や行為」、Virtueは、「美徳,徳,善;徳行,廉直,高潔」とあるものの、具体的にどういう要素をさすかという事までが単語自身に明確に定義づけられている訳ではありません。
美徳の具体事例
そこで、キリスト教で言う7つの大勢に対抗するものとして掲げられる7つの美徳を参考に記します。旧約聖書が書かれたラテン語からの約です。これはあくまで参考です。
七つの大罪(罪源)とは、1. superbia 傲慢 、2. avaritia 強欲、3. luxuria 色欲、4. ira 憤怒、5. gula 貪食、6. invidia 嫉妬、7. acedia 怠惰
七つの美徳とは、1. Humilitas 謙虚、誠実、2. caritas寛大、慈善
3. castitas 貞潔、貞操、4. Patientia 忍耐、5. Temperantia 節制、節度
6. humanitas 人間性、人道、7. industria 勤勉(熱心)
実際の現場で多く見られる「仮の美徳」に対して真の美徳をVianna’sシータヒーリングの「ダウンロード」のテクニックを用いてダウンロードする事は、スキーマの解消を促進するのに役に立つと思います。
これまでのグループセッションのパターン1、パターン2で網羅できなかった、Virtueに関するレクチャーとダウンロードを行うグループセッション、パターン3というのも想定しています。
また今回取り上げた、自信を持つここと謙虚、傲慢の関係のように、個々の単語の定義だけでなく、概念と概念の関係をどう捉えているかについて適切な理解に置き換えることも重要に思えます。
適切な定義が呼び覚まされれば、概念と概念の関係性も徐々に整理はされるとも考えられますが、〜しながら〜する、〜なしで〜するといった、私がwith構文の呼び覚まし、without構文の呼び覚ましと呼んでいるような呼び覚ましはプロセスを早める事でしょう。
私は、潜在意識に存在する「隠された信念」をインナーチャイルド、インナーベビーという概念で表して、誰でもそれを簡単に自己分析できるようにしました。そして、自分でそれに向き合って変更する方法を含めて1冊の本にまとめました。LibertyWings®プログラムの最も根幹をなす考え方はこの本にまとまっています。