人生の転機、ミッションを自覚し起業に至るまでのストーリー
2012/11/19
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今から16年前、まだ私がOLだった頃に、駅から1分、美登利寿司本店の前のビルの3Fに起業の準備段階として、エンジェルウィングという名称で場所を借りていました。
8.5坪で家賃は11万円。
週末だけアロマセラピートリートメントや、アロマの個人レッスンを始めたのです。
パートナーのKIYOちゃんも応援してくれて、
週末は心理セッションでお客さまの対応をしてくれたり、
オーラリーディングができる友人と組んでセッションをしたり
色々な企画を考えて、ワクワクしながら準備期間を過ごしていました。
けれど、アロマだけでは、心もとない
何かもっと安定感のある仕事がほしい
そう切望しましたら、アロマの生徒さんから「
よい美容家の先生がいるので、ご紹介したいです。」ということで
柴田先生を紹介してくださいました。
その当時、私がオリジナルで行っていたアロマやハーブを使ったコスメの授業は、それは楽しかったのですが
作っていいただいたコスメは防腐剤を使用していなかったので、
1ヶ月後には匂いが変わってしまったり、分離してしまうなど
イマイチな点が多く、そを解消したいと思っていた時に、
25年の美容コスメ製造のキャリアをお持ちの柴田先生に出会いました。
出会ってすぐに、美肌を追求し、熱い思い持っている先生の理念に
共感しました。
その当時、私の肌は敏感肌で、オイリードライ
肌キメが荒く、部分的に赤みが強く
美肌と言われることもありませんでした。
ところが数回、使用しただけで、変化しはじめたのです。
柴田先生は、「ほんもの」を追求し、
女性の素肌美を作ることに情熱を燃やされていましたので
私は先生を師と仰ぎ、美容コスメについての
基本を教えていただくことになりました。
それから、私の肌質もどんどん改善されて、
「素肌がキレイ」と言われるようになりましたね。
そして、柴田先生は私の熱心さを見て
「あなたのような人に伝えてもらいたい 」
ということで、私は、肌の生理を元気にしてくれる
やさしくて愛情たっぷりのコスメを人様にお伝えしていくようになっていきました。
大好きなアロマとハーブをふんだんに使って作られたコスメは
商品という概念超えて、思いやりや愛そのものでした。
あえて言うならお肌が喜ぶセラピーコスメといった感じで
お肌に載せた瞬間、アロマの香りで癒され、
ハ-ブなどの繊細な波動がお肌に浸透し、
やさしくてしあわせな気持ちになっていきました。
柴田先生の理念の「外面だけの美しさだけでなく、
健康な体、心、を兼ね備えた人間でありたい。」
という思いに深く共鳴し感動してしまったのです。
私のやりたいことは、人様にホンモノをお届けし、
感動をお伝えしていく美の伝道師になっていくことだと気づきました
以前、数名のチャネラーさんにこれから「プロと組んで仕事していきますよ」
とメッセージをいただいていましたが
柴田先生と出会い、お肌が変わりワクワク人生が始まりました
そして、先生との出会った翌月には、私は波動の会社を卒業する
決意が固まりました。
40歳目前にして、これからは、好きを仕事にして
人様に喜び、愛、感動、しあわせを運ぶ天使になっていく
そう心に誓ったのでした。
地元梅ヶ丘のサロンをHBIという名称に改訂しました。
Hはホリスティック、Bはビューティー、I インスティチュート(研究所)の意味
H ヘルス、ヒーリング B 美 I 愛 という意味もあります。
私は、精神、魂、肉体 この3つの側面から健康美を追求し、
実現していくのがミッションだと自覚し、会社名にも表しました。
命名は、私とパートナー二人で決めました。
パートナーは、私のソウルメイト。
今生では、同じ方向性で、大きな夢を実現されるために、支え合い、励まし合いながら
形作っていき、新しい文化を創造していくことが私たちのミッション
だと感じています。
自分の心の深いところから湧いてくる思い、
静かに燃えるこの思い
私だからできること
私にしかできないことを生涯をかけてやっていきたい。
魂は永遠だと思いますが、この肉体は一度限り、
精一杯、人生を120%生きたいと思っています。
ですから、ミッションを見つけるのは、やさしいことではないかもしれませんが、
自分がご飯を食べるのも忘れて夢中になれることを
見つけていくと、その延長線上に見えてくるものが必ずあると思うのです。
私は40年かかりました。もっと早い人もいれば、もっと遅い人もいるでしょう。
必ず、一生懸命生きていきますと、出会えると信じて行動を起こしていると
自然に出会るものだと思います。
情熱、モチベーションの高さは、誰にも負けない自信があります。
次号に続く・・・・