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批判に対する恐れを克服する

批判を恐れるあまり、自分の行動を制限していませんか? 自己主張することや意見を言う事を制限したり、いつも人目を気にして萎縮したりしてはいませんか? 他人がどうあれ、自分に承認を与える事(自己承認)ができますか?

 

「批判」の本来の意味は?

このテーマは、ある一線を越えて、願望を実現したり、成功を得てゆくために必要な課題です。そして、克服が可能なものです。

本題に入る前に、そもそも「批判」とは何である かという定義を明確にしておくことが重要です。多くの人が「批判」を適切に定義していないと思われるからです。不適切に定義された、あるいは定義 があいまいなまま概念を用いると思考の混乱を招くからです 。

辞書によると、「批判」の定義は、

①物事の是非を判断すること 

②不適切、あるいは誤りであると指摘すること 

③欠点などをあげつらう事と3つ挙げられています。

 これらのうち、③は、恐らく本来の意味ではなくて、慣例に従って後で加えられたものであろうと思います。

 多くの人が、「批判」は、悪いことであるかのように思ったり、感じたりしています。しかし、よく「批判」という言葉を見てください。批評の批と判断の判という字が組み合わさって出来た単語ですよ。よく見ると悪い意味の文字などどこにも含んではいません。また、批判という言葉に関連して、建設的批判、同志的批判、活発な相互批判、批判的精神といった用い方もあり、これらは決して悪い意味を成してはいません。ある人の批判に対して、「批判になっていない」とか、「批判の体をなしていない」という言い回しもあります。

 例えば、「その学会では、活発な相互批判が行われた」という表現なら、その学会は健全に機能していると解釈することができます。一見、似たような言葉で あっても、「その学会では、非難の応酬が繰り返された」という表現になると、その学会はもう崩壊状態、機能マヒに陥っていると解釈できます。

 特に学問、学術において、健全な批判は、その発展に欠かすことができません。新しい学説が生み出されるときには、それ以前の学説の不十分な点、矛盾点、 限界性などを指摘することから始まります。ですから、批判というのは、本来は、知的で、発展的で、建設的なものであるはずです。誤りや不十分な点に気づい たり、是正したり、認識を深めたり、発展させることに役立つものです。

 ただし、批判が適切に機能するためには条件があります。それはその対象が、行動や理論や言動、作品などに限定されたものであり、人そのものに向けられたものではないこと。相手に対する悪感情を伴わず、冷静で知的で論理 的なものである、そして、誤りや不十分な点を是正するといった建設的な意図に基づく必要があります。ということは、「批判する」という事は、それなりに高度 な知性を要する作業であると言えそうです。

 

「批判」とは似て非なるもの

 そこで、批判と混同しやすい、他の概念との違いについて考察してゆきます。

 まず、「非難」です。「非難」とは、相手の欠点や過失を責め立てる、咎め立てするという意味です。これは、一方的に断罪するという攻撃的なニュアンスがあり、多くの 場合、怒りの感情が伴います。

 「攻撃」というのは、相手にダメージを与えようとすることです。

 「誹謗」は、相手の悪口を言う事です。 これも相手の信用や名誉を失墜させて、ダメージを与えようとする行為です。

 「中傷」は、根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つける事という意味で、デマと ほぼ同じ意味です。

 「誹謗」と「中傷」は、連なって「誹謗中傷」という四文字熟語で使われることもあります。 これでまず、「批判」と、そのほかの「非難」「誹謗」「中傷」は明確に意味が異なることが明確になったと思います。

 ただ、混同されやすい理由として、批判には、往々にして 非難のニュアンスが入り混じりやすいからだと思います。だから純粋に理性的な批判は、もともと建設的なものなのに、わざわざ建設的批判という言い方があるのでしょう。

 必要なときには、的確に批判が出来て、批判された側は、そこから気づきや学びを得たり、それが適切でないと思った場合でも、参考意見として受け止め、場合によっては、適切に反論することで議論を深める、こういうことが全く、怒りや敵意などの悪感情なしでできるのが、本当の大人だと思うのですがいかがでしょうか?

 聞いたところによると、このような考え方は、ドイツ人の間では広く根付いているそう です。ドイツ人同士が会話をすると、相手の言った意見に対して、まずkeinとか、nichtとか、否定で受けて、自分の意見を述べ、それに対して又相手 が反論をして・・・という具合に会話が進み、だからと言って険悪になるわけでもなく、最後には、「今日はお互いの考えをたたかわすことが出来て実に有意義 だった。ありがとう。」という具合に握手を交わして、親密さを増すのだそうです。

 そういう会話が出来る人が、大人と見なされるのだそうです。そういう文化 がいいとか悪いとかではなくて、参考になる話だと思います。ともあれ、批判されて傷つくとか、腹が立つ、とか、落ち込むとか、批判されるのが怖いという事があるのであれば、そこには何らかの認知の歪みがあると言ってよいと思います。

 

「批判」に対する恐れを克服する

「批判されることは、私そのものが否定されたことを意味する」

「批判されることは、拒絶されたことを意味する」

「批判されることは、嫌われたことを意味する」

など、批判されることに対して不適切な意味付けをしているならば、キャンセルして書き換えたほうがよいと思います。

ここまで、解決したとしても、多くの「批判」は、純粋で理性的なものではなくて、実際には非難や誹謗中傷などが入り混じったものです。だから、批判に対する恐れのワークは、非難や誹謗中傷に対する恐れもワークする必要があります。非難や中傷に、どういう態度をとるかという事について、白隠禅師の次のようなエピソードは参考になるかもしれません。

 白隠禅師が住んでいた村の、ある娘が妊娠しました。娘は聞かれても父親の名を明かしませんでした。しかし娘の父親が執拗に聞き出そうとし、脅しつけたので、娘はそれから逃れようとして、ついそれは白隠禅師だと言ってしまいました。

 娘の父親は、子供が生まれるとすぐに白隠の元へ連れて行って、「これはおまえの子供だ。」と言い、彼の前に放り出し、考えつく限りの悪口雑言を浴びせかけ、あらゆる侮蔑とあざけりをまくし立てました。

 黙って聞いていた白隠は、聞き終わるとただひと言、「おお、そうなのか?」とだけ言ってその子を腕に抱いたそうです。

 それからというもの、白隠はその子を自分のボロボロの僧衣の袂にくるんで、どこへでも連れて歩いたそうです。雨の日も嵐の夜も、雪の降る日も白隠は近所の家々を廻って、その子のためのミルクを乞うて歩いたといいます。

 白隠には多くの弟子がいましたが、その多くが「禅師は堕落してしまった」と思い、彼の元を去りました。しかし白隠禅師はひと言も釈明も自己弁護もしませんでした。

 一方、母親である娘は、自分の子供から離れている苦しみと悔恨の情から、とうとう子供の本当の父親の名を明かしました。娘の父親は白隠禅師の元へ駆けつけてひれ伏し、頭を地に擦りつけるようにして、繰り返し許しを乞うたそうです。

 白隠は、「おお、そうなのか?」とだけ言って、娘の父親に子供を返したそうです。

 この物語をどう読むかは人によって様々だと思います。そして、その一つの側面として、白隠禅師は、他者からどう思われたか、どう扱われたかという事に全く動じていないという事です。多くの人は、なぜそれほどまでに他人からの評価を気にして、それに振り回されてしまうのでしょうか?

 

承認欲求を超えて自己承認へ

 ここで、ご存知の方は、「マズローの欲求段階説」を思い出していただきたいのです。マズローモデルでは、生存欲求、安全欲求、愛と所属の欲求、承認欲求、自己実現欲求と、下位の欲求が満たされるにつれてより上位の欲求に焦点が移行するとしています。

 実際には、子供のころから承認欲求は芽生えます。例えば、初めて自転車に乗れた時に、両親に自分が自転車に乗る姿を見せたがったり、上手くかけたと思う絵を見せて褒めてもらいたがったりします。

 そして、子供のころであれば、自分自身や自分のした事に対する自己評価は、他者、特に親や教師が自分をどう評価したかに依存しています。思考パターンで言えば、「私の価値は他者からの評価で決まる」という設定になっていたと思います。

 これは、正常な事で、もしそうなっていなかったら、自分がいいと思えばそれでいいと自己満足してしまい、独善に陥ったり、成長が止まってしまっていたかもしれません。

 成長するにしたがって、自分の内的基準を徐々に育ててゆき、次第に自己承認するという事を学びます。

 のちに承認欲求も十分に満たされるようになると、次第に自分の内的基準に従って生きるという側面が強くなり、他者からの評価に振り回されることがなく なってゆきます。こういう段階に達すると、自己実現欲求にフォーカスが移行し、自分だからできる事、自分特有の役割といったことに関心が集中するようにな ります。

 しかし、マズローによると、このような段階に達する人は、全人口の数%に過ぎないと言います。 多くの人は、承認欲求にかなりのウェイトを置いているので、他者からの評価を気にしないわけにはゆかないのです。そして、マズローによると、承認欲求の 段階にある人でも、初期的な段階では、他者の評価を受けることに焦点がありますが、後期に至るにしたがって、内的基準による自己承認の割合が高くなってゆ くとしています。ここでもし、「私は無価値だ」といった信念がベースにあって、過剰補償すると、ことさらに他者の評価を気にして、他者からの評価を得ることに固執することになるでしょう。

 

「早期不適応的スキーマ」と「批判への恐れ」

 こういった思考パターンがあれば、いつまでも内的基準を育てることが出来ずに、自分に対する価値づけを他者からの評価に依存してしまうために、自己承認が出来ないという事にもなるでしょう。

 だから、批判に対する恐れを克服するには、まず、「私は無価値だ」などに代表される「欠陥/恥スキーマ」を解消する必要があります。

 ほかに、「巻き込まれ/未発達な自己スキーマ」「失敗スキーマ」「罰スキーマ」「不信/虐待スキーマ」なども解消する必要があります。 そうしてもなお、内的基準をしっかり育てる必要があり、自己承認が出来るようになるには、一定のプロセスが必要だと思います。

 ただ多くの人の潜在意識は、「内的基準」とか「自己承認」といった概念自体を知らない場合が多く、これらを呼び覚ますことは重要だと思います。 多くのパイオニアたちが直面したのは、人々の嘲り、冷笑と酷評でした。おおよそ斬新なもので、最初から賞賛されて受け入れられたものなどないと言っていいかもしれません。

 それでも彼らが、パイオニアになれたのは、自分がやろうとしていることが、どういう意味や価値があるのかという事に深い確信や信念があったからだと思い ます。人が何と言おうとも自分がやろうとしていることが何なのか、どういう意味や価値があるのか、よく分かっていたはずです。

「独善に陥ることなく、自分のやることに自信や確信を持つ」という内容の呼び覚ましも役に立つと思います。

 こうして、「早期不適応的スキーマ」を解消し、「批判に対するネガティブな意味付け、過剰な意味付けの思考パターンを解消し、自己肯定感を高め、内的基準を育て、他者からの評価よりも自己承認のウェイトを高めることで、他者からの批判を恐れたりぶれたりしない自分を作り上げてゆくことができます。

そして、その過程をサポートさせていただくことができます。
個人セッションのページへすべては変えられるh-200

私は、潜在意識に存在する「隠された信念」をインナーチャイルド、インナーベビーという概念で表して、誰でもそれを簡単に自己分析できるようにしました。そして、自分でそれに向き合って変更する方法を含めて1冊の本にまとめました。LibertyWings®プログラムの最も根幹をなす考え方はこの本にまとまっています。

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